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「いま会える」アイドル 実在アイドルアニメ少年ハリウッドを全力で紹介する

アニメ・漫画等

真面目な紹介記事は以前書いたので、今回私情を交えつつ「第四の壁を破るコンテンツとして秀逸」という観点から書いてみました。

ひとことで言うと「少年ハリウッドは現実」です。なげーよ、と思ったら読むのをやめて以下のURLへ飛んでください。

http://www.starchild.co.jp/special/shonen-hollywood-anime/haishin.html

 

※以下、無駄にゲーム『君と彼女と彼女の恋』のネタバレが含まれる前置きです。飛ばしても大丈夫です。

 

 

実際に買うまで、ずっとタイトルを勘違いしていたゲームがある。

『君と彼女と彼女の恋』というエロゲ―なのだが、私はこれをずっと「僕と彼女と彼女の恋」だと思い込んでいたのだ。

検索もそれで問題なく公式サイトが出てきたため素で気が付かなかったのだが、現物を手に取って初めて「僕」ではなく「君」だと気が付いた。

三角関係もので「僕」でなく「君」、じゃあこのタイトルは一体誰目線なんだよ、と思ったのだが、プレイしてみて合点がいった。タイトルを語っているのはアイツだし、「君」は私だ。私自身だった。

 

私はずっと『ラブプラス』の主人公が嫌いだった。画面の向こうの彼女と恋をするのに、はっきり言って邪魔でしかないのだ。

勝手に喋りカノジョとイチャつくアイツを撲殺してやりたいと思っていたのだが、なんと『君と彼女と彼女の恋』では実際に主人公を撲殺してきたのだ。*1

やたらとくっちゃべる「僕」を金属バットで排除し、美雪はまっすぐに自分を見てくれた。主人公ではなく自分に対して「好き」と言ってくれた。

しかも微妙な台詞回しや趣味等のパーソナルがシナリオ内でランダムに選ばれ、「自分だけの美雪」として存在してくれるという手の凝りよう。

シナリオそのものは自分のような浅はかな俺嫁オタクに対する痛烈な批判であり、単純に「自分に対して話しかけてくれてる!いえー!」と思っていたわけではないのだがそれはそれとして、キャラクターが「自分自身に語り掛けてくる」体験として、『君と彼女と彼女の恋』は強く印象に残った。

もちろん主人公を通り越してこちらへ語り掛けてくる作品はこれに限らない。しかし『君と彼女と彼女の恋』はシナリオ・演出含め、自分にとって最も真に迫った第四の壁破壊ゲーであった。

 

※前置きここまで

 

『少年ハリウッド』は自分にとって、『君と彼女と彼女の恋』と同じジャンルに属する。「は?」と思われるかもしれないが、キャラクターが壁の向こうに実在し、こちらに向かって語りかけてくる、そう思わせてくれるという括りにおいて、自分の中では同じなのである。 

 

『少年ハリウッド』は、アニメであってアニメではない。

一体何を言っているんだという感じだが、簡潔に説明するとこのコンテンツには作中アイドルグループ「少年ハリウッド」は実在するという設定があるのだ。

アニメ本編は「少年ハリウッド」の活動記録であり、声優なんてものは当然いない。イベント等ではキャラクターの友人という体で登場する。

ベストアルバムなどはどこをどう探してもCV表記が無いというこだわりようだ。

 

少年ハリウッドは実在する。この設定を踏まえたうえで全26話を見ると、アニメ全体が少年ハリウッドを実在させるという目標に向かい作られているのが分かる。

1話全体をMステのような1つの音楽番組として演出する(少年ハリウッドはいち出演者にすぎない)など、少ハリには飛び道具的な話がいくつかあるが、それは奇をてらってやっているわけではない。ただそこに存在しているアイドルとして少年ハリウッドを描くためにそうしているにすぎない。

また、そうした特別な回だけでなく、全体において「彼らが存在している」ということに非常に気を配られたアニメとなっている。以下は監督及び原作者(兼シリーズ構成・脚本・作詞)のインタビューだが、この中で語られているようなこだわりが単なる理想でなく、本当に体現されていると感じることが出来た。

 

Q1 第1話「僕たちの自意識」の中でこだわりの描写を教えて下さい。

 

どう表現したら少年ハリウッドのメンバーが僕らと同じ世界に存在しているように感じることが出来るかと毎日考えていました。(中略)それを表現する為の人物造形、美術、色彩、撮影、音、全てがこだわりでした。

 監督 黒柳トシマサ 『少年ハリウッド HOLLY STAGE FOR 49』 第1巻 DVD/BD付属ブックレットより

 

――アニメでは脚本、すべての楽曲の作詞、だけでなくシリーズ構成も担当されています。構成の段階で「彼らは生きている」という部分を、どこまで意図されていたのでしょうか?

橋口:すべてを狙って作ると絶対に破綻するのは目に見えているので、基本的に「私の意図」という意味で我を出すことはできません。(中略)物語を書く時はすべて、その人物がどう動くのか、どう動くのが自然か。それを軸に、存在するであろう正解に向けて進めるだけですね。自分のしたいことは、作品の中ではしないです。

『原宿ガール』から“アニメ×小説×ぜんハリ”プロジェクト、ファンクラブ発足まで、橋口いくよが全貌を語った!【前編】 | ダ・ヴィンチニュース

 

 

こうしたこだわりによって貫かれた1話~25話、そしてその集大成と言える26話を観終わったとき、私は思った。「少年ハリウッドは実在する」と。

 ネタバレになるのであまり具体的なことは言えないが、アイドル「少年ハリウッド」のライブは向こう側だけでなく間違いなく「こちら側」に、自分たちに向かっても届けられている、そう思った。そしてそれ以来、頭のどこかが確実におかしくなった。

メンバー5人分のうちわを購入したときなど、自分でやっておきながら意味が分からなかった。一体それを家に帰ってどうするのか?(飾った)

意味が分からなかったが、ファンになってしまったものは仕方がない。時空の向こうに実在する彼らを応援したくなってしまったのだから。

少年ハリウッドの楽曲の一つ 「NOEL STORY」にこんな歌詞がある。

「聖なる日は 君に会える 絵本の中で手を振る君に NOEL STORY」

「願いひとつ 叶うのなら 絵本の中で笑いかけるよ NOEL  STORY」

この「絵本」を私は勝手に第四の壁的なものの比喩だと思っている(少年ハリウッドはこれまで2度、12月24日のライブを「こちら側」へ届けている)。それを破りこちらへ笑いかける彼らに、手を振り続けていきたい。

 

自分にとって『少年ハリウッド』と『君と彼女と彼女の恋』は同じジャンルで、自分の中で本当に大切に思っている。グダグダと書いてきたが要するに、画面を超えた向こう側と「繋がった」と心の底から思えた、そういう作品なのだ。

 

 

また、第四の壁を破る双方向型コンテンツとして少年ハリウッドを推すうえで、もう一つ大きな理由がある。それは「自分が気持ち悪くても大丈夫」ということだ。

 

「ゲームで遊んでたら、ローディング中に謎のキモオタ映るんだけど」というジョークがある。ネタではあれど、「コンテンツを楽しんではいるが、その自分を客観視するとキモイ」という辛さを感じたことがある人は少なくないだろう。

少年ハリウッドなら、その辛さも乗り越えられる。もちろんキモくなくなる訳ではない。ペンライトを振る自分の姿は確実にキモイ。それでも、たとえ気持ち悪くても良い、少年ハリウッドを応援しても良いと思えるのだ。

 

少年ハリウッドというコンテンツにおける向こう側とこちらの関係性は「アイドル」と「ファン」だ。そこに肝がある。

『少年ハリウッド』13話には「女の子は皆可愛いよ」というセリフが登場し、22話及び小説少年ハリウッドにも、同じ類の台詞が出てくる。

男ならどうなんだ?皆かっこいいよになるのか?というのはさておき、これは現実的な美醜を超えた「ファン」という存在の肯定だ。

たとえどれだけキモかろうがアイドルとファンという絶対的な距離においてアイドルは平等に手を振ってくれるし、笑顔でパフォーマンスしてくれる。

「気持ち悪い人間にも 好きって言える資格があるのがドルオタだ」

とは少年ハリウッドに登場する名場面…ではなく地下アイドルを応援するオタクを描いた真鍋昌平の読み切り漫画『アガペー』のセリフだが、私はアイドルを応援する良さの一つがまさにコレだと思っている。それがそのまま「少年ハリウッド」という作品の良さに繋がっているという訳だ。

 

FC会員向けに現在連載している小説中に、黄色担当であるメンバーがペンライトを夜空に例える場面がある。ペンライトの黄色い星が輝き、客席に命を灯していると。

アイドルを応援しているとき、WUG太田の某シーンのようになっていようがそんなことは関係ない。

自分の振るペンライトは美しい夜空の星の一つとなり、アイドルを照らすのだ。そしてアイドルの輝きは、明るくこちらを照らしてくれる。

「応援している自分が気持ち悪い」。そんな自意識のブレーキを破壊してくれるのがアイドル、そして少年ハリウッドというコンテンツの大きな魅力の一つではないかと思う。キモかろうがなんだろうが、「アイドルファン」として、自分がコンテンツの中に存在することが出来る。そこには確かに自分の居場所があるのだ。

 

ということで「次元の*2壁を本気で超えてくる」「”コンテンツを楽しむ自分を客観的にみるとキモイ”問題を克服できる」という2点から、少年ハリウッドを全力でおすすめしてみた。

 

少年ハリウッドはいます。会いに行けます。今なら無料です。

「いやでもやっぱり男子アイドルは興味ないし…」という人にも、是非一度見てほしい。何故なら彼らは最初からアイドルである訳ではないからだ。きらびやかなアイドルに声援を送る作品ではない。顔がいいだけの1人の人間である少年たちがアイドルになる過程を追いかけるうちに、いつの間にかアイドル「少年ハリウッド」のファンになっている、そういう作品だ。意外とおっさんファンも多い。普通に女子中校生ファンも多い。

ということで、老若男女におすすめの実在アイドルアニメ、少年ハリウッドを見て下さい。

 

 ニコニコ動画等各社にて12月25日 23:59まで無料配信中です。

http://www.starchild.co.jp/special/shonen-hollywood-anime/haishin.html

24日にはラジオライブがあります。 "少年ハリウッドクリスマスイブラジオライブ中継inハリウッド東京「Christmas Eve is you」"

http://www.starchild.co.jp/special/shonen-hollywood-anime/radiolive.html

 

少年ハリウッド期間限定無料配信中!

*1:撲殺していた…と思う。ゲームの性質上一度しかプレイしていないので、以下も含め記憶を捏造している可能性がある。

*2:少年ハリウッドにおいては「時空」と表現する。彼らは「2次元」ではなく違う「時空」に実在するアイドルだからだ

少年ハリウッド最終回が素晴らしすぎてもう何も言えない

アニメ・漫画等

もう何も言えないとか言っときながらグダグダ語るのが本エントリな訳だが、とにかくもう、本当に素晴らしかった。
1話からこれまで、時にはイタさに耐えきれなくなりそうになったり、何度も「こいつらクスリやってんのか?」と思ったりしたが、ここまで見てきて本当に良かった。
そもそも自分の青春時代を今思い返せばクスリでもやってたのか?と思うような奇行やおかしなテンションの時も多々あったわけで、青春とはそんなものなのだろう。
18話のようなリアルに「うわぁ…」となる痛々しさも含めて、青春から遠ざかった身から見た彼らは限りなく眩しく輝かしい。
しかしその輝いている瞬間は決して静止しない事を、彼らからもまた青春は過ぎ去り年を取り、果てには死が待っている事を、このアニメは常に示唆しつづけてきた。
時間が過ぎ去るからこそ、光輝く今その一瞬が美しい。年を取らない、永遠の日常を楽しむという選択も出来る「アニメ」という媒体だからこそ、そのテーマが胸に響く。

 

彼らは「アニメ」だが、同時に「実在するアイドル」という設定でもある。
(25話あらすじ*1から考えるに、おそらくこの世界に実在するというよりは違う世界線の原宿に実在するアイドルであり、その姿を時空でつないで観ているという設定なのだろう。ある意味少年ハリウッドはSFなのかもしれない)

実在する彼らの時間は、常に過ぎ去っていく。過ぎ去った時間は過去になり、記憶からも消えていくかもしれない。
だがその時間が在ったという事そのものは永遠に消えない。過ぎ去った瞬間は永遠に過去の、その時点に存在し続ける。(シュンの奇行も永遠に存在し続ける)
22話ラストのモノローグ&セリフが一番ストレートにこれを伝えているが、歌詞やその他のモノローグなどでも何度も表現されてきたこのメッセージは、「アイドル」を描く作品のテーマとしてとてもしっくりくるものだった。
以前ポッドキャストでアイドルに関するこのラジオの特集↓を聞いたのだが、少ハリと重ね合わせて何度も頷いてしまった。

ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル 2/21 サタラボ「史上最高のアイドルは誰だ!?評議会<女性編>」 http://www.tbsradio.jp/utamaru/2015/02/221_5.html

現実の元アイドルがたとえ不祥事を起こしたとしても、今良く分からない路線に走っていたとしても、アイドルとして輝いていた瞬間そのものは永遠に消えないし、確かにそこにあったのだ。
アニメでありながら、去りゆく一瞬の永遠の輝きを映し出した少年ハリウッド。これはもう名作というしかない。

 

こんな風に書くと過去にばかり目を向けた物語だと思われそうだが、「夢の上書き」「永遠に生まれ直せる」といったテーマが同時に存在する事によって、未来に向かう目線もまた描かれている。
そのおかげで、青春ものを見ている時にありがちな「こいつら超楽しそうだけど自分はもうこの中には入っていけないんだよな…」的な寂しさをあまり感じなかった。
実際やり直せるかはまぁともかくカケル君が「僕たちは、永遠に生まれなおせる…」とかポエム呟いてたら自分もなんかやり直せるような気がするじゃん、気だけはするじゃん。青春系アニメを見ていると時折死にたくなる、そういった層に対しても身の置き場が用意されているのが良かった。

 

という事でやっと26話の感想に入る訳だが、これはもうタイトル通りあまり書く事が無い。1話丸々舞台回・音楽番組回、ほぼ丸々ドラマ回と毎度視聴者を驚かせてきた少ハリだが、ここに来て1話丸々ライブ回に驚く人はいないだろう。待っていたものが、ついにやってきたという感じだ。
アイドルとして積み重ねてきた彼らの日々の集大成としてのライブを、いち観客として見られる。これ以上の最終回は無い。
キラの自己紹介を見たときには、かなりこみあげて来るものがあった。「このキラキラがみえますか?」常にその言葉と共についていたエフェクトが、最終回にして初めて何もついていない。いつもハリウッド東京に来ていた観客が見ていたものを、今初めてこちら側の観客も共有しているのだ。いかにも心の中でポエムを言っていそうなカケルの表情を見ても、モノローグは聞こえてこない。
ハリウッド東京で、少年ハリウッドのライブを見ている。最高のライブだった。それ以外もう何の感想もない。

この作品をリアルタイムで追いかけられて本当に良かった。でも後追いでもきっと面白いので、アイドルやアイドルアニメに興味がある人はどうかみんなちょっと見てみてほしい。無くても騙されたと思って見てほしい。
このエントリを最後まで読んだ人が居たと仮定して、その中にファン以外がいるとは思えないのでこんな所で書いたって仕方がない事ではあるのだが。
書かずにはいられない、ということでどうか、人気が出てアニメとしても継続して欲しいと思う次第。アンコール!アンコール!

 

 

*1:「時空のこちら側の皆様しかご覧になれない、時空の向こうのファンの皆様は見る事のできない彼らの姿を1秒でも多くお届けするために、オープニング、エンディング楽曲はございません。」

他人のファッションにドン引きしたらこの人はスキをあきらめてないんだなと思う事にした

ユリ熊嵐を観ていないと意味不明なエントリです

接客業のバイトをしていた時期、お客さんのファッションに内心引いていた時がちょくちょくあった。
スポーツ刈りにタンクトップ&ホットパンツのおっちゃんとか、多分キャンディキャンディ的な世界観を体現しているのだろうけどどっちかっていうと頭にリボン付けられたポメラニアンを連想させるおばちゃんとか。
世の中いろんな人がいるのは分かってる、多様性を認めるべきだ、この人たちがどんな格好をしていようが自分には関係ないじゃないか、とか色々考えたものの、まぁ正直引くものは引く。
結局自分を納得させられなかったのだが、今日散歩しながらユリ熊の内容を思い出していて、ふと思いついたのがタイトル。

「あの人は透明な嵐に混じらず、スキを諦めていないんだ…」そう思ってキャンディキャンディ風の50代女性を思い浮かべてみる。…なんだか尊敬の念すら沸いてきそうな気がする。
色々と大切なものと引き換えに彼女は女の子に変身し、透明な嵐による排斥(ヒソヒソ言われたりもするだろう)にも負けずスキを貫いているのだ!、と考えるとマジメンタルつえーなと思う。
以前私は「自分にとってファッションとは石ころぼうしだ」というエントリを書いた事がある。無難なファッションを選ぶことで透明な存在になる、それが自分にとっての服だ。
もし自分が自由に、これが着たいと心から思う服を着ていたとしたら、そもそも奇抜なファッションにだって引かなかったんじゃなかろうか。
だからといって今からこれが自分のスキだ!私はスキをあきらめない!とか言ってアニメTシャツとか着て歩く勇気もないのだけど、他人のスキくらいは排除せずに承認したい。

「私はスキをあきらめない…!」あぁ、言ってみたい。

ふつうに良かった映画


ブログを放置していても、アクセス数には特に変化がない。だが記事を書くと、大抵明らかにグラフが凹みだす。また放置すると持ち直す。一体なんなんだこの現象。

というのはさておき、はてなブログのお題、「ふつうに良かった映画」について書いてみる。アクセスが下がってもふつうに気にしないし。全然気にしてないし。

 

ダーウィン・アワード

ダーウィン・アワード [DVD]


愚かな死に方をした人に対して、劣った遺伝子を自ら淘汰した功績として贈られるネット上の賞、ダーウィン賞を題材とした作品。
ダーウィン賞をとった彼らの「死にざま」が、不謹慎ながらとにかく面白い&ほんの少しあこがれる。
ただダーウィン賞に関するエピソードが非常に面白いのに対して、主役&ヒロインのストーリーが中途半端だったようにも思う。ブラックコメディ映画の佳作。


ダーウィン・アワード【予告編】 - YouTube

ごちゃごちゃ書くよりも予告編を見てもらった方が早いタイプの作品。


木更津キャッツアイ ワールドシリーズ

木更津キャッツアイワールドシリーズ 通常版 [DVD]


ドラマの方はちゃんと見ておらず、再放送の際にとびとびで見た程度(映画1作目は見た)。
それでも脱モラトリアム映画として個人的には面白かった。

余命半年と言われながらもなんだかんだと生きてきた主人公とその地元仲間たち。彼らが織りなす永遠に続くかのようなモラトリアム的日常。
それを本作では非常にばっさりと終わらせている。例えるなら、けいおんのキャラクターが映画版でOLになったり結婚したりするようなものだ(違う)。
まず冒頭で主人公が死んでいる。死ぬ死ぬと言われつつも死なない、というのがもはや持ちネタのようになっていたのを、あっさりと死なせてしまう。
しかしそこは主人公、フィールドオブドリームスのしょうもないパロディによって蘇るのだが、その間には3年という月日が流れていた。
3年間で、何もかもは変わった。ニートが働きだしたり、まともに喋らない、何をやっているのかも良く分からなかった謎のキャラクターが流暢に喋る自衛官になっていたり。
それぞれモラトリアムを脱して在り方を変えた仲間たちと、3年前の空間に居たままの主人公。たとえ生き返ったとしても、どうしたって前のようにはいかない。埋められない齟齬がある。死者はやはりそこにいるべきではない人間であるという事に、3年前に言えなかった別れを今こそ伝えるべきだという事に、皆は気付いていく。
青春との別れをテーマとした1本の映画として、なかなか胸にくるものがあった。たださすがに、元シリーズを全く知らない状態で観るのは厳しいかもしれない。

 

山形スクリーム

山形スクリーム(2枚組) [DVD]


こ、個人的には結構面白かったんだけどどうかな…?と恐る恐る差し出してみたい一作。
邦画らしいゆるいコメディと、落ち武者による和風ゾンビが組み合わさったホラーコメディの珍作だ。監督は竹中直人
ゴア描写こそないものの、ゆるい割には容赦なくゾンビ映画として展開していく所が個人的に気に入っている。
ゆるーい雰囲気で温水洋一だの竹中直人だの生瀬勝久だのの豪華キャスト(邦画で豪華キャストがゾンビもの、というのもちぐはぐ感があって楽しい)がしょうもないギャグシーンを披露していく一方、容赦なく人が死んでゾンビ化していく。

このよくわからないハーモニーがなかなかの味を出している。
主人公の女子高生4人もテンプレ気味ながらも分かりやすくキャラが立っていて、ちゃんと「死んでほしくない」と思わせる。ホラー映画的に、ここは重要だ。
ゾンビ映画の課題、「ゾンビ化事態にどうオチをつけるか」もちょっと他ではみられない結末をつけているので、ゾンビ映画ファンでまだ見ていなければ騙されたと思って観てみてほしい。
騙されるかもしれないけど。コメディ映画として観ると完全に騙されるのでそれはやめよう。

 

AAAH! ゾンビーズ!! 俺タチだって生きている

AAAH! ゾンビーズ!! (俺タチだって生きている) [DVD]


普通におもしろい。過度な期待は厳禁。「ショーン以来」という謳い文句は見なかった事にするのが業界の常識である。
若者4人が軍のトラックから流れ出た謎の液体入りソフトクリームを食べてゾンビ化、という実家のような安心感のある導入からスタート。
ただこの作品が一味違うのはここからで、ゾンビ化した4人は、自分たちの異変に気づいていないのだ。お互いの姿は普通の人間として見えている。
しかし電話をかけるとわけのわからない音声が聞こえてくるし、外に出ればなんと人が襲ってくる。どう考えてもおかしい、正常なのは自分たちだけだ、僕達でなんとかしなくては…!
と、「彼ら」の視点が描かれていく。普通の人から見れば彼らがゾンビで、当然攻撃だってする。だが彼らからみれば、向こうが凶暴化した怪物のように見えるのだ。
(どうでもいいが、「人間」の声(聞き取れない不快な高音)の雰囲気も相まって、「沙耶の唄」というエロゲをちょっと思い出す)

彼ら目線に映るのは、青春まっさかりの男女4人(と軍人のおっさん一人)。だけど一旦人間目線に移れば、そこにいるのは不気味なゾンビ。
視点の違いによる見える世界の違い、という設定を活かしたすれ違いの面白さと、その真実に辿り着いてしまう悲哀が描き出されていく。
ちなみに彼ら目線はモノクロで、人間目線になるとカラーになる。
モノクロで男女の青春ラブストリーが描かれた後に、不気味なゾンビのうごめきが色鮮やかに写しだされ、夢が覚めたように現実に引き戻されるという演出が悪趣味で良い。

だが悲しいかな途中でちょっとだれてくる。ラストももうちょっと捻りが効いていたら…と思わずにはいられない。
しかしこうきたか!という演出の良さ&場面で切り取ればかなり良いシーンが結構あるので、ゾンビ好きなら見て損はしないと思う。特に好きでないなら見なくても損はしない。


という事で、「ふつうに良かった」映画を4本選んでみた。「ふつうに」って人によって意味の解釈が違うけど、これで良かったのだろうか。
ふつうに良かったよ、ふつうに。

「ブログ」に対する評価への違和感とその理由

考え方・雑記

はてなを始めて以来、ブコメを見て「お、おぅ…」という気分になる事がよくある。
ブログ(自分のブログではなく、他の人の)へのキツめのコメントが思った以上に多くて、正直ちょっと戸惑うのだ。

喧嘩腰で何かを批判していたり、政治や社会へのラディカルな問題提起をしていたり、という記事に厳しい意見が来るのはまあ分かる。

だがそうでもない、「おすすめ漫画〇選」だとか、日常に関して考えたエッセイ的な記事だとかにも、なかなかにキツイ意見が来ていてちょっと驚いてしまうのだ。
「○○が入ってないって時点で程度が知れる、やり直し」「無駄に長いだけで何が言いたいのか全く伝わらない」、的な。*1
そうしたコメントを見る度に、いやそこまで厳しく言わんでもええがな、と思ってしまう。
「SF漫画の系譜」みたいな新書があったとして、そこに諸星大二郎が入っていなくてなんだコノヤロー、と言うなら分かる。
だが別にブログなら、その人が趣味で、その人の好きな物を挙げてるだけなんだからそれでよくね?と思ったりする。エッセイ的な記事も、その人が徒然なるままに書いてるだけなのだから、そんなに分かりやすさを求めないでも…と思う。

だがふと思ったのだ。
そんな風に思うのは、自分の「ブログ」そのものに対する目と、厳しくコメントをする人の「ブログ」への目にズレがあるからでは?と。
私のブログのイメージは多分10年前位で止まっている。
その日あった事や考えた事をぽちぽちネットにアップして、基本自己満足ながらもアクセスや、たまにコメントなどが来て嬉しい。そんなイメージがずっと留まっているのだ。
なので私はブログというものを、完全なアマチュア、趣味の世界の産物だと捉えている。
だが今はアルファブロガーだとかサードブロガーだとか、マネタイズだとか色々ある訳で、当然自分とは違うイメージを持つ人はたくさんいるだろう。
もはやブログは完全な趣味の世界ではなく、一部セミプロ的な扱いをされているのかもしれない。

ブログとイラスト投稿の状況は、少し似ている。
pixiv等のSNSに、イラストを投稿する。それは基本的に趣味の世界なのだが、今世間ではほとんどプロ並みに上手い人がたくさんいる。
そういう人たちには、ブックマークや評価などのフィードバックが大量に来る。
だがそのフィードバックの中には、アマチュアであるにも関わらず「デッサンが狂ってる」などのプロに対するような厳しい評価があったりする。
代わりに、と言っていいのか分からないが、中にはプロとしてイラストの仕事を受けるようになる人もいる。また同人誌で収入を得る人もいる。  

ブログも今、これに近い状況なのだろう。文章を書くのが上手い人がたくさん出てきて、書籍化やライターの仕事を受ける人が出てくる。
中にはアフィリエイトで多くの収入を得る人もいる。プロとアマの境目が曖昧になって、評価の目も厳しくなる。

何を今更感があるが、自分の中での「なんでそんなに厳しいのん…?」という疑問の一部が氷解して、ちょっとすっきりした。
私自身はこれまで通り、完全なアマチュアとして自分にも他人にも「趣味」目線でやっていこうと思う。
そもそも自分自身のブログに関して言えば無縁な話である。有象無象の素人丸出しの絵に対して、「デッサン狂ってんぞコラ」という人はあまりいない。(「コラ」と言われる事も覚悟して書いてはいるが)
ただ自分とは「ブログ」に対する目線が違う人もいる、というのは頭に留めておこうと思った。

*1:コメントはイメージ。以下もふくめて、特定のコメントについて書いている訳ではない

今期1番は少年ハリウッドだね、って言っとけば通ぶれる

アニメ・漫画等

これが好きだ、と言っておけばなんとなく通っぽく見えるアニメがある。
売れ筋ではいけない。ちょっと尖った所があるとなお良い。
センスの良い「分かってる」チョイスで、簡単に承認欲求を満たす大チャンス。気になる異性にもモッテモテ、愛人リスト流出も夢じゃない。

なら今期は何を挙げればいいのだろうか。ユリ熊?夜のヤッターマン?それともローリングガールズか?

違う、そうじゃない。今期挙げるべきNO1通ぶれるアニメ、それは「少年ハリウッド」2期だ。「アイドル」というものを真面目に描くその内容、チャレンジングな演出、そのマイナーさ。どこを取っても通ぶるのにぴったりなアニメである。

 

売れ筋ではない。全然売れ筋ではない。はっきり言って売れてない。
1期の売上を同クールにやっていた女性向けアニメ「Free!」2期と比較すると、大体20分の1位しか売れていない。
2期1話のダンス作画が素人目に見てもよく動いていたのだが、一体どこから資金が来たのかと不安になる。(ちなみに2期という名の分割2クール)

 

人気のアニメ、例えばシンデレラガールズについて語るのは、結構敷居が高い。

多くの人が見て、そして語っている訳で、感想に対するハードルだって上がる。ファンの人の思い入れだって凄い。
個人的にアニマスに引き続いて凄く好きなアニメになりそうなのだが、なんだか恐れ多くて感想記事は書けそうにない。
その点、少年ハリウッドなら問題ない。濃い感想記事を書かれている人もいる。が、いかんせん感想記事自体数が少ない。
なので内容の無い記事でも書いて良い気がしてくる。枯れ木も山のにぎわいというか、「少年ハリウッド面白い」と言っている内の一人になるだけでも意義を感じられる。
たとえこの記事を見ている人が一人もいなかったとしても、チラッとこのタイトルをサブリミナル的に誰かの目に入れさせるだけでも充分だ。
そしてそんなサブリミナル的な「少年ハリウッド面白い」が積み重なって皆の視聴に至り、いつの日か少年ハリウッドが売れ筋アニメに躍り出る。そうに違いない。
人気アニメとなった少年ハリウッドを見て私は一言、「いやあー最初から来ると思ってたんだよなあw」と言って煙たがられるのだ。
なんだか話がずれてきたが、一言でまとめると「まだそこまで人気になっていないので気軽に語れる」という事だ。
面倒くさい意見も今なら飛んできづらいぞ多分! 皆少年ハリウッドを見て語って通ぶろう!


通ぶれるアニメには欠かせないポイント、尖っている事。これも見事少年ハリウッドはクリアしている。
少年ハリウッドを一躍(一部で)話題のアニメとしたのが、1期10話、「ときめきミュージックルーム」だ。全編を通しMステ風の音楽番組「ときめきミュージックルーム」を放送するという演出で話題を呼んだ。*1
アイマス15話でも丸1話バラエティ番組という演出はあったが、765プロの色々な表情が見られて楽しいファンサービス的なこの回とは、また趣が違う。
少年ハリウッド10話の特異さは、主役達が一出演者に過ぎないという点にある。
司会や他の出演者を妙なリアルさで描き、少年ハリウッド(主役達のグループ名でもある)の出番が過ぎても閉幕までちゃんと続く。謎の女性アイドルや演歌歌手もまた少年ハリウッドと同じように歌い踊り、幕間MCに応える。
一歩間違えれば誰得な描写だが、これら一連の流れを通して「応援しているアイドルがTVに出ている」感覚をリアルに疑似体験できるのだ。
新しく、尚且つ独りよがりでない意味のある演出。これはアイドルアニメの歴史に残る。(かもしれない)
「少年ハリウッドの10話がすげぇ」と語れば、通ぶれる可能性大だ。今後影響を受けたアイドルアニメが出てくる可能性もあるので、その時これを知っていればドヤ顔で語れるぞ! さぁ、皆少年ハリウッドを見て語って通ぶろう!

ただし、ただ単に10話が斬新だから凄いというのではない。丁寧に積み上げられてきたそれまでの描写があったからこそ、10話の演出が生きているのだ。
この作品の大きな特徴として、初期段階では全くアイドルとして魅力的でないという点がある。アイマスラブライブだって、初期段階では無名からのスタートだ。
でもやっぱり可愛い。キラキラしている。華がある。少年ハリウッドのメンバーはハッキリ言って華が無い。
誰が誰だかよく分からないし、顔は濃いし、一部を除いてそんなにやる気だって無い。
そんなパッと見では分からないキャラクターの魅力を、各話を通して少しずつ知っていく。
分かりやすい強烈な個性なんてない。だが1話1話の積み重ねによって、確かに血の通ったキャラクターの魅力が見えてくるのだ。
一人一人が何を考え、何に悩んでいるのか。それをどう消化して成長していくのか(解決方法が斜め上だったりして面白い)。
時にシビアに、時に爽やかに描かれるその内面を知り、一人一人に愛着が沸いてくる。

『少年ハリウッド-HOLLY STAGE FOR 49-』vol.1(Blu-ray)

この濃い顔のキャラクター一人一人にである。
この顔が濃くて危なっかしい新米アイドルに愛着がわいてきた頃、なんと彼らがメジャーっぽい音楽番組「ときミュ」に大御所と混じって登場する。そんな流れがあってこその10話なのだ。

他にも妙に考えさせられるポエム(モノローグ)や誠実な大人達、アイドル論とも人生論ともとれるやたらにシビアな語り、癖になるセリフ回し等々、魅力は多々あるのだが長いのでここで終わる。「宗教的カリスマ感でたな」みたいなセリフがポンと入ってくるあの感じ、良い。


通ぶるとかそんなのはどうでもいいので、面白いので是非見て下さい。

1期ではアイドル未満の主人公たちを通して「アイドルとは何か」が描かれていたが、2期ではアイドルとして本格的にスタートを切った彼らを通して、また違った視点から「アイドル」を描いていく模様。
アイドルグループの解散、握手会商法の是非と最初からガンガン飛ばしている少年ハリウッドに、これからも目が離せない。

 

 

ちなみにバンダイチャンネル見放題の対象。加入してる方は是非。特に序盤は地味で魅力が分かりづらいので、できれば5話くらいまで視聴してみて欲しい。

「少年ハリウッド -HOLLY STAGE FOR 49-」 | バンダイチャンネル

*1:小説の帯に「最後の1行に待ち受ける、驚愕のラスト」とか書いてある時点である意味ネタバレなのと同じように、これも本来前知識無しに観た方が良いとは思うのだけど、でもこの辺りを紹介した方が興味を持つ人は増えるんじゃないかと思うジレンマ。まあいろんなとこで紹介されてるのでいいかなと。

ダメ人間でありたい、という願望

考え方・雑記

今、猛烈に西村賢太が読みたい。

最近、真面目に社会人として生活している。
23時には寝て、6時には起きる。犬の散歩に行き弁当を詰め、電車に乗って30分前には会社に着く。会社から帰宅した後は仕事に関する勉強をして、余裕があれば本を読む。
この間転職して以来ずっとそんな生活を続けていて、自分が自分で無いようで気持ちが悪い。
これまでは昼夜逆転当たり前、電車に乗れば遅刻の常習、車に乗れば時間ギリギリ。そんな生活を送っていた。支払を引き延ばした挙句に督促状が来ることもしばしばで、段取りが悪いため仕事の要領も悪い。

前職からは多少まともにやっていたものの、それでも寝るのは4時だったし、遅刻ギリギリで滑り込むのも稀ではなかった。
そんな自分が、かくもまともに生活できるのかと驚いている。

新卒ならまだしも26でその感想はないだろう、と自分でも思うのだが、とにかくこれまで酷い有様だったのだ。
もちろんわざとやっていた訳ではない。幼い頃から今まで、計画性というものがさっぱり身につかなかった。身に付けなかったと言った方が正しいのだろうが。
カビパン・やっていない宿題・溜まったプリント・必要以上に多い教科書(ただし必要なものは欠けている)の4種をランドセルの中で熟成させていた頃からずっと、
自分はダメな人間だと悩み続けてきた。だがそれでもだらしのなさは直らなかった。

それが今になって直りつつある。一体何故だろう?と自分なりに考えてみたのだが、どうも一番の理由は自尊感情の安定にあるような気がした。
ダメだダメだと言っていないで具体的な対策を考えて軌道修正すればよかろう、とやっと気付いたのが大学の頃。
そこから最初に入った会社が恐ろしく肌に合わずまた色々と崩れ始め、次の職場で仕事に慣れると共に持ち直し、
順調な滑り出しの現職場で「自分いけるやん」と思うと共にだらしのなさが鳴りを潜める。
これからはもう督促状は来ない…!来ないぞ…!
しかしはてなは性格のねじくれた人はよく見るが、この手の駄目な同類はあまり見かけない。
もっとレベルの高いところで悩んでいるイメージだ。観測範囲の問題だろうか。

だがたとえ良い方向に向かっているとしても、自分の中で強烈な揺り戻し願望が沸いてきてしまう。
非モテ」やら「ダメ人間」やら、マイナス方向のポジションには、ある種の甘美さ、中毒性みたいなものがある。
ネットでよくいう「おまえら」とは、主にこういうポジションに居る層をまとめたスタンドアローンコンプレックス的な集合体を指しているのだろうが、
そうした「おまえら」でいるという事は、案外心地が良い。自分なんか…というポーズを取りながらも、結局そんな自分が好きなんだろう。
「負のナルシズム」なんて散々書き尽くされた事を今更書く必要は無いのだけれど、なんというかこう、自分も結局そうなんだなあというのを今噛みしめている。

たまに、前の職場が恋しくなってしまう。今の職場はまともだ。
ぶつぶつと隅で呪詛をつぶやく鬱病の先輩も、自傷跡だらけの同僚も、サブカルクソ野郎の上司も、オカルトマニアのおっさんも、カルト宗教の信奉者もいない。
明らかに精神を患った爺さんにがなり立てられる事もなければ、自爆営業的に商品を買わされる事もない。「死ね」という言葉がカジュアルに飛び交ったりもしない。

自分では思ってもいない愛想を極端に振り撒きすぎて、他人の言葉も信じられなくなっていた自傷跡だらけの同僚。
いつも適当に話を聞きながら「こいつ大丈夫か?」と半ば呆れていたが、そんな同僚が私は嫌いではなかった。

寂しいと思う。でもそこに戻る訳には行かないので、西村賢太を読んで我慢する。駄目な人が描かれた作品が、今どうしようもなく読みたい。
クワイエットルームにようこそ」という精神病院を舞台にした映画のラストを少し思い出す。精神病院を退院する主人公は、病院で親しくなった仲間のアドレスをゴミ箱に捨てる。
私も戻っては行けないと思う。が、同僚のアドレスは携帯に入ったままだ。

 

(やまいだれ)の歌

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