他人のファッションにドン引きしたらこの人はスキをあきらめてないんだなと思う事にした

ユリ熊嵐を観ていないと意味不明なエントリです

接客業のバイトをしていた時期、お客さんのファッションに内心引いていた時がちょくちょくあった。
スポーツ刈りにタンクトップ&ホットパンツのおっちゃんとか、多分キャンディキャンディ的な世界観を体現しているのだろうけどどっちかっていうと頭にリボン付けられたポメラニアンを連想させるおばちゃんとか。
世の中いろんな人がいるのは分かってる、多様性を認めるべきだ、この人たちがどんな格好をしていようが自分には関係ないじゃないか、とか色々考えたものの、まぁ正直引くものは引く。
結局自分を納得させられなかったのだが、今日散歩しながらユリ熊の内容を思い出していて、ふと思いついたのがタイトル。

「あの人は透明な嵐に混じらず、スキを諦めていないんだ…」そう思ってキャンディキャンディ風の50代女性を思い浮かべてみる。…なんだか尊敬の念すら沸いてきそうな気がする。
色々と大切なものと引き換えに彼女は女の子に変身し、透明な嵐による排斥(ヒソヒソ言われたりもするだろう)にも負けずスキを貫いているのだ!、と考えるとマジメンタルつえーなと思う。
以前私は「自分にとってファッションとは石ころぼうしだ」というエントリを書いた事がある。無難なファッションを選ぶことで透明な存在になる、それが自分にとっての服だ。
もし自分が自由に、これが着たいと心から思う服を着ていたとしたら、そもそも奇抜なファッションにだって引かなかったんじゃなかろうか。
だからといって今からこれが自分のスキだ!私はスキをあきらめない!とか言ってアニメTシャツとか着て歩く勇気もないのだけど、他人のスキくらいは排除せずに承認したい。

「私はスキをあきらめない…!」あぁ、言ってみたい。