悪口を聞くと例のAAが浮かぶ

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特定の人の悪口を聞くのが苦手である。職場のAがBを嫌いだ、的な。もしくはCもDもEもFが嫌いだ、的な。
別に自分はいわゆる「いい人」、善人である訳ではない。ただ、喜怒哀楽の振れ幅が少な目で感情に乏しい。ぼーっとしているので、昔は「熱いとか寒いとか感じることあるの?」と聞かれたりした。いや内心めっちゃ寒かったんだけど。

相手の悲しみに親身に寄り添ったり、おもしろエピソードに爆笑したりしない代わりに、そんなに怒ったりもしない。特に知り合いに対しては怒りが沸きにくい。

なので、悪口を言われても単純に「共感」できない。多分想像力が欠けてるせいもある。
とりあえず適当に「そうなんだ」「へぇー」「そう?」などと聞いているが、どうでもいいのでほんとはあまり聞きたくない。道徳・倫理的にどうというのではなく、単に聞くのがめんどくさい。

共感できない話でも、プラスの方向なら楽しく聞ける。ダムの放水見てたら勃起したとか、わけのわからんセンスオブワンダーを感じる話は好きだ。
だが悪口となると、こちらにとって何の利点もない。
悪口がコミュニケーションツールになるのは互いの共感を引き出せるからであって、共感が無ければそれはもう相手の愚痴を聞かされているだけだ。
知らんがな。そんなことより野球しようぜ。

そんなに怒らないとは言っても、怒鳴り散らすクレーマーなんかには流石に腹が立つ。
世界の中心で社長の遺灰をばらまきたい気分の時だってある。
だから悪口を言いたい気持ちは分かる。ただ、沸点の差によるコミュニケーションのズレが出てしまう。別にあの子が空気を読めなかろうが、あいつがミサワを地でいっていようが、そんな話は正直どうでもいいんだ。そんなことよりお前『GODZILLA 』の話しようぜ。

 

「仲を取り持とう」なんてろくでもない行動に出たこともある。

「Bが〇〇しない。なんなのアイツマジで」とAがずっと言っている。結構単純な、言えば改めてくれそうなことだ。そうすると「じゃあ言やあいいじゃん」と思ってしまう。 メロスは政治がわからぬ。私は心の機微が分からぬ(政治もわからぬ)。なので私はAに「じゃあ言っとくよ」と安請け合いする。Aの名前を出さずに、自分の意見としてBに「これこれこうだからこうしてほしい」と伝える。分かったと言われる。実際やってくれる。

結果AとB、ふたりは手を取り合い、末永く仲良く働きましたとさ…とはいかない。嫌いになった原因を取り除いても、嫌いになったという結果は消えない。
「めんどくさいから悪口を聞きたくない」というエゴのために、他人の心を変えようとする。そんな事をしたって結局徒労に終わるのだろう。似たようなことを何回かやって分かった。

結局この問題に具体策なんてものはなく、ちょっと我慢するというのが正解なんだと思う。みんなそうして生きているのだろう。
聞いている間にスペースダンディの好きな話数ランキングベスト10でも決めればいい。

このエントリもまた、読む人が共感できないと感じれば単なる愚痴になってしまう。
最後まで読んで「わりとどうでもいい!!」と思った人がいたなら申し訳ない。
こんな愚痴はやめて、野球でもやろうか。