「エロゲ」という媒体の持つ良さ

長い

エロゲが好きだ。凄く好きだ。が、数をこなしているかというと全くそんな事はない。
むしろ年一本くらいしかやらない。長いから。
全クリに50時間とか社会人舐めてんの?18歳以上しか出来ないんだよね?二ート向けなの?それとも文系大学生という選ばれしモラトリアマーのために作ってるの?何なの?
…と思うのだが、その「長さ」こそがエロゲ―だけにしかない魅力だと思うのだ。
ぎゅっと詰まった、短くて濃いエロゲも多々あるのは承知している。が、とりあえずそれは置いといて、ここでは「長いエロゲ」の良さについて書きたい。

このエントリを書くきっかけになったのが、以下の増田だ。

最近の「泣けるエロゲー」で久々に泣いてみたい

この増田内の以下の文章に「すげー分かる!」と頷いてしまったのだ。

日常描写を蓄積していって、そこからの落差で泣かせるというそのベタベタであざとい展開でありながら、ものすごく労力をかけて丁寧に丁寧に作られていてその世界を愛してしまうがゆえに、その瞬間が予測可能回避不可能なみたいな泣きゲー体験をまた味わいたいよ―ーあびゃああああああ!

そう、長いエロゲーの特徴として、物凄く丁寧に日常描写を積み上げていく、というのがあるのだ。丁寧すぎてむしろだるい、これいるか?と思いつつ、なんだかんだでその世界に愛着が沸いていく。
ひたすら描かれる「その世界の日常」に惹かれ、そしてある時それが急に反転するこのカタルシスたるや、他のメディアではなかなか味わえない。
エロはないが「ひぐらしのなく頃に」はこれを自覚的に、極端なまでに利用した作品だったと思う。

この「だるい程に日常描写を延々積み重ねた後に一気に崩す」というこの構成、エロゲ*1以外ではやり辛いと思うのだ。この「延々」というのは並の延々ではない。下手をすると6時間以上、延々と続くのだ。アニメ1クール分である。
漫画やアニメ等でもこれは出来ないことではない。が、非常にリスキーだ。それをエロゲはさらりとやってのけてしまう。
良くも悪くも、好きなだけシナリオを詰め込める。そこは10週打ち切りだのスポンサーの意向だのとは無縁の世界だ。*2

 近い

主人公目線、ファーストパーソンで話は進み、「PCと自分」という物理的に近い距離によって、目の前はエロゲーで埋め尽くされる。
いつしかその世界に入り込み、読み込み時の暗闇にはうつろな目のキモオタが映る。エロゲーマーズハイとなり、昼夜も飲食も忘れマウスをクリックしつづける。
この没入感もまた、起承転結における「転」の部分の衝撃を高める。起起起起起承転う゛あああああああああみたいな。
その後の「結」にあるのが救いか否かで、いわゆる「泣きゲー」か「鬱ゲー」かに分かれていくのだろう。この没入感故に、救いの無い話もまた非常に親和性が高い。

この「やたらと長い導入部」と「一人称視点」による没入感、それに絵・音楽・声・演出が合わさり、エロゲにしかないプレイ体験を味わわせてくれる。


それにしても絶対にダメージを受けるのに、「鬱ゲー」が気になってしまうのはなんでなんだろう。
上で挙げた増田で触れられていた「フラテルニテ」が気になって気になって仕方がない。絶対後悔するのに…悔しい、体験版ダウンロードしちゃう。
あとこれ読み直して思ったけどこれ全然エロゲ全般の話じゃないよね。長いエロゲがみんな長々と日常描いてる訳でもなし。まぁこういうつくりの作品も出来るのがエロゲの良さ、って事で。

 

君が望む永遠 ~Rumbling hearts~(限定版)

君が望む永遠 ~Rumbling hearts~(限定版)

 

 

↑PCの方を貼ろうと思ったらAmazon商品紹介からの検索にかからなかった。

18禁は貼れなかったりするんだろうか?

*1:別に全年齢向けでもいいが

*2:同人でない限り納期なりしがらみなり色々ありはするだろうけど