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自分にとってファッションとは「石ころぼうし」である

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Q31―ドラえもんに何かひとつもらえるとしたら、何がいいですか?
 A―(即答)"石ころ帽子"ですね。だって、誰にも気にされないでしょ。
                                p119

『かってに研究しやがれBOOK』少年サンデーかってに研究委員会 2004 小学館 
                         久米田康治インタビューより  

 自分のスタンス

はてなでファッションに関する記事が多く挙がっている気がする。という事で自分も、ファッションに関する自身のスタンスを考えてみた。

私が服を選ぶ時の基準はただ一つ、「目立たない事」だ。

暗色系の服を買うだとか地味な服を買うだとか、そういった事ではない。むしろ地味すぎると悪目立ちする。
ありふれた、無難な、尚且つ自分の見た目や性格に合った服を買う事。
街中を歩いていても誰も自分の事を認識しない「モブ」を目指す事。これが私にとってのファッションだ。ファッション誌に目を通すのも、自分と似たような雰囲気を持つ人のファッションをチェックするのも全て「モブ化」のためだ。

消える訳ではないけれど、居ても誰も気に掛けない。そんな「石ころぼうし」効果を求めて、半日服屋をうろつく。話しかけてくる店員に耐え(マジ怖い)、これだ!と思ったものを試着する。
鏡に映った自分をみて普通!となれば合格、きもい!となれば不合格。

私にとってファッションは自分を表現するものでも楽しむものでもなんでもない。
かと言って不細工だからファッションなんて興味ないなどと言ってカーチャンが買ってきたピコのパーカーを着ていれば浮いてしまう。
「えーマジピコ!?ピコが許されるのは小学生までだよね!」。そう言われないため服を買っている。

 

人のスタンス、自分のスタンス

その昔『脱オタクファッションガイド』や『電車男』が流行ったとき、「脱オタ(ファッション)」すべきかどうかが軽く議論になった。
それに関して私は「JKの笑い声が自分を笑ってるように聞こえるのなら、した方が楽になれる」、そう考えてピコをやめた。リュックもやめた。
重いリュックを捨てれば、自分が笑われているなんて自意識過剰も捨てられる。

あれから10年、最近ではいかにも「オタク」な人達はあまり見かけなくなった。
皆、モブになる事を選んだのだろうか。それともファッションを楽しんでいるのだろうか。それともオタクなんてもういないのだろうか。
そんな中、昔ながらのオタク然とした恰好の人を見かけると何処か懐かしくなる。尊敬の念すら沸いてくる。
服を買う時間もお金も、きっともったいないのだろう。その結果後ろ指をさされても、自分の道を貫く。一種の求道者のようだ。

 昔、脱オタ肯定派に走った思春期の自分は、アキバ的ファッションを見下していた。現在では逆に、かっこいいと思っている。

 ファッションよりも自分の好きなものを優先させる人、ファッションが「好きなもの」な人、ファッションを周囲に溶け込むために使う自分。

いろんなスタンスがあって良いのだと思う。今はそう思うようになった。