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純然たる「劇薬エンタテインメント」―映画「渇き。」感想(ネタバレ無し)

映画

映画「渇き。」を見てきた。感想ひとことで言うと、

「胸糞悪い映画なんだろうな、と期待して観に行ったら予想以上に胸糞悪くて胃もたれした」という感じだ。
この手の過激な映画には「グロいし悪趣味で最悪。娘には見せたくない ☆1つです」
のようなYAH○○映画レビューがつきものだったりする。
それに対する自分の反応は大抵ったく分かってねぇなぁという中二的上から目線なのだが、この映画に関してはそれもまぁ分からなくはないなと思った。

デヴィ夫人、映画『渇き。』鑑賞も共感できず「チンプンカンプン」 (デヴィ・スカルノ) ニュース-ORICON STYLE-

デヴィ夫人

この映画の目的とか、何を訴えたいのかわからない。チンプンカンプン

と言っているがこれはもっともで、おそらくこの映画にはそもそも(社会的な)目的だとか訴えたいものなど無いのだと思う。
予告編にある通りこの映画は「劇薬エンタテインメント」、純然たるエンタメ作品なのだ。

「ダンサーインザダーク」や「ファニーゲーム」等有名ないわゆる鬱映画のなかには、
過激描写の裏にテーマ性がある(少なくともそう取れる要素がある)ものが多い。
なので逆に、過激な暴力描写や衝撃的な展開があると、裏に社会的なメッセージがあるのではないかと勘繰ってしまう。
「渇き。」の予告編も、最近の役所広司のイメージや「家族を愛して何が悪い!」という叫びから、歪んだ形ではあっても「家族愛」をテーマにした作品と取る人がいてもおかしくない。
それを目当てにした観客と実際の内容のミスマッチから、「☆1つです」的感想が出るのも止む無しか、というのが上に書いたその手のレビューを書く心情が「分からなくもない」理由である。

一応誤解の無いよう書いておくと、この映画を批判している訳ではない。この映画に期待するものを間違えてはいけないという話だ。
この映画は「とんがったエンタメ」であって「とんがった社会派作品」ではない。
そんでもってとんがり具合を見誤ってはいけない。
自分の場合はどうだったかと言うと、
「とんがったエンタメ」を期待して観に行った、これは良し、ただしとんがり具合をびみょーに見誤った、という感じだ。

楽しめたか楽しめなかったかで言うと、間違いなく楽しめた。
各俳優陣の演技は素晴らしく、特に役所広司小松菜奈の主役二人が良い。
脅し、嬲り、怒鳴り、爽快なほど景気よく人を撥ね狂ったように笑う。そんな藤島を演ずる役所広司はもうクズそのもの。
冒頭の楽しげなクリスマスの背景に重なる役所広司の「クソがぁっ」も最高で、
星飛雄馬君のクリスマスパーティーに飽きた反クリスマス派の皆さんには、是非24日にこの冒頭部分を見てほしい。
小松菜奈も非常に蠱惑的に藤島加奈子というキャラクターを演じており、相手が狂っていると分かっても絡め捕られる、抗えない魅力を存分に発揮していた。

ティーン向け作品に登場するような、「透明で、風変りで、儚くて、どこか自殺願望が透けて見える」、そんなキャラクターを限りなく凶悪にするとこうなる、といった印象を受けた。

ドラッグパーティーのど派手な色彩にアイドルソングを合せるセンス、
目まぐるしい場面・時系列転換など、演出も含めて映画全体をジェットコースター的に楽しめた。
が、「心に闇」系と思いきやほとんどサイコパスとしか思えない加奈子のキャラクター、思っていた以上に「めちゃめちゃ」にされていた周囲等、想像よりエグイ描写の続くストーリーに疲弊してしまい、「楽しさ」と「疲れ」がトントンになってしまった。
冒頭に書いた通りやや胃もたれ気味、お腹一杯という感じである。
ただその分ギュッと詰まった作品であり、「劇薬エンタテインメント」がたまらなく好きな人なら決して損はしない映画である。

ひとつ気になるのが、藤島加奈子の本棚。
作中で引用される『不思議の国のアリス』の他に『ドリアン・グレイの肖像』があったのは分かったのだが、他には何が置いてあったのだろうか。
『ドリアン・グレイの肖像』は加奈子の破滅的なキャラクターに良くマッチしている。他もきっと考え抜かれたチョイスなのだろう。
確かめたいがもう一度見に行く気力が…気になる。

 

新装版 果てしなき渇き 上 (宝島社文庫)

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ドリアン・グレイの肖像 (新潮文庫)

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